
就労支援センター風の丘(以下、風の丘):今日は、スーパーマーケットにお勤めしている、D子さんにお越しいただきました。ご多忙のところ、ありがとうございます。
D子さん:いえ、いえ、こちらこそお呼びいただき、ありがとうございます。『それぞれの生き方』、読んでますよ。
風の丘:ありがとうございます。いま辛い状況に置かれている方々に、少しでもヒントになることがあればと思い、この企画をスタートさせました。いろいろとご反響をいただいています。
D子さん:そんなところに、私が出てもいいんでしょうか(笑)。
自分の身体とすなおに向き合う
風の丘:もちろんです。よろしくお願いします。いまの職場は、働き始めからどれくらいですか?
D子さん:たぶん、2年ちょっとじゃないかと思います。けっしてラクな作業ばかりではないので、それでもよく続いているなぁと、自分でも感心しています(笑)。
風の丘:働き方で、これまでとは変わったところがあるのですか?
D子さん:自分の身体との向き合い方がなんとなくわかってきたんです。体調がダメなときは、ダメなときなりの仕事の仕方がある、ということがわかった。不調なときは、服装なり、飲み物や食べ物、言葉遣いなど、そういったことを自分なりに調整できるようになったことが大きいと思います。いままでは身体がもつ限りは動く、どんなに無理をしても大丈夫だ、倒れるのは気合がたりないからだと思ってましたから。
風の丘:以前の職場では、そんな働き方だったので、結果的に身体がもたなかった、ということですか?
D子さん:そうですね。振り返ってみると、辛くなったときとか苦しくなったときに、自分の中でいきつくところって、小・中学校から刷り込まれた、気合とかやる気とか、そういう精神論、根性論しかないんですよ。だから、やる気があっても倒れていく職場の仲間をみて、ああにはなりたくないと、そう思っていた自分がいたことは事実なんです。
“自分はふつうの人よりも劣っている”という烙印
風の丘:以前の職場というのは、アミューズメント関連の会社ですよね。
D子さん:はい。私が働いていたのは、主として幼児や児童向けのプレイルームでした。プレイルームって、清掃や機械のメンテナンスだけではなくて、想像していた以上に子どもやご家族とのと関わりが求められる仕事でした。もともと子どもが好きだったので、それはよかったのですが、ご家族への対応は、かなり大変でしたね。言葉遣いを間違えてしまったりとか。
風の丘:メンタル的にストレスがたまる仕事ですよね。
D子さん:はい。私は高校生の頃から発達障害の診断を受けていたので、“自分はふつうの人よりも劣っている”、“ふつうの人にはなれない、社会で浮いた存在なんだ”という意識があったんです。それが社会人になって、それがよりエスカレートされたというか。
やっぱり劣等感って、心も身体も狂わせていくんですね。限度がわからなくなる。だから、つらいことがあったとしても、自分はもっとできるはずだ、仕事っていうのは苦痛を伴うものなんだ、ここでダメになったらこの先人生やっていけない、そうひたすらに信じこんでました。決して大げさな言い方ではなくて、生きるか死ぬか、毎日そんな感じでした。
生きるか死ぬか、という毎日の中で…
風の丘:それでも、身体が悲鳴をあげてしまった。
D子さん:勤め始めて、2年ほどたったころかな…。自動車で出勤していましたが、職場が近づくにつれて涙が止まらなくなった。自分にいったい今、なにが起こっているのかわからない。こんな経験は初めてでした。心が折れました。
風の丘:それで休職。
D子さん:その場で電話をして、休職をいただきました。
風の丘:休職中はどんなふうに過ごしたのですか?
D子さん:なにもやらずに、横になっていることが多かった。ひきこもりです。でも頭の中では、まず経済的な不安が一気に襲ってくる。休んでいる間、お金をどうしようと。最初の頃は、寝ても覚めても、お金の不安でした。それと同時に、これで自分は仕事が任せられない人間だと思われたのではないか、いやまだやれるはずだ、そんな自問自答がひっきりなしにグルグル回ってましたね。
風の丘:まったく落ち着けない。
D子さん:見た目は何もしていないようでも、頭の中はずっと全開で動いている状態でした。
震える手で書いた退職届
風の丘:その後、いったんは復職する。
D子さん:はい。あまりはっきりとは言えませんが、いわゆる「格下げ」となったんです。給料も少し下がった。まず、これでガクッときた。それと、会社からすると、私の身体的な負担を軽くして、ということなんでしょうが、事務的な仕事が増えたんです。例えば、一日のプレイルームのスケジュールから始まって、1週間、1ヶ月みたいに中長期的なスパンでのスケジューリングのような、どちらかというと、運営側の仕事が増えた。
ただ私って、子どもの頃は夏休みの計画さえもできない子だったんですよ。それが、 他人の計画なんて、できっこない。思い出しても、週に一回くらいはパニック発作みたいな症状が出ていた。でも、会社全体の雰囲気として、若い人は休憩なしがあたりまえ、サービス残業もあたりまえ、みたいな感じなので、辛い、苦しいなんてとても言える状況ではなかった。一度休職もしていましたしね。
風の丘:それで、復職後はどれくらいもったのですか?
D子さん:それでも1年くらいはなんとかがんばったんですけど、やっぱりまた心身に異変を感じるようになって…。また涙が止まらなくなった。帰宅して、部屋に戻るともう何もできない状態で、ずっと涙が流れ続けている。もうダメだと思い、退職を申し出ました。今でも覚えていますけど、退職届を書こうと思っても、手が震えて書けないんです。文字にならないような字で、必死で書きあげたことを覚えています。
風の丘:退職後は、どんなふうに過ごされていたのですか?
D子さん:ドライブが好きなので、とにかく運転をしていました。日本全国幅広く、神社めぐりとかしていました。私はクリスチャン(プロテスタント)なんですけど、なぜか神社ばかりめぐっていた。
風の丘:風の丘を知ったのは、いつ頃ですか?
D子さん
