「転機」としてのうつ病
- kazenooka
- 2023年5月17日
- 読了時間: 2分

いままで何人ものうつ病の方の支援をしてきて、もしかしたらうつ病の回復って、いくつかのパターンがあるのかな、という気がしている。
なかでも、大きく分けると2つ。
ひとつめは、紆余曲折を経ながらも回復の道筋を歩み、その後ほとんど再発がないパターン(現在は服薬が必要なくなった方も多くおられます)。
ふたつめは、いったん回復し、うつ病が良くなったようにみえても、なにかを契機に再発を繰り返してしまうパターン。
何が分岐点なんだろうと、ずっとかんがえてきた。
ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカーという内科医がいる。
『ゲシュタルトクライス』、『病いと人』など、生命と医療について、根源的な思索を展開した人だ。
彼の思索を簡単にまとめるなんて、とてもできない相談だけど、それでもあえて言ってみれば、生命体という存在は、そこの何らかの危機的状況が起こったとき、個体的な消滅(死)に至らないために、いわば「防衛」的な機能として「病気」を発生させる、ということ。医療というのは、その病気を、なるべく生命体にとってより有害ではないものへと置き換える技術ということになる。
ここでまた、うつ病の回復にパターンに想いを巡らせてみる。
再発を免れている方を改めて想起してみると、それまでの「生き方」を根本的に変えた方が多い。
自分1人で仕事を背負う、悩みを相談できない、完璧主義、遮二無二働く…。
「あのままいったら今頃倒れていた。そんな生き方に対して、うつ病は警鐘だったのかもしれない…」。
こんなふうにお話ししてくれた方もおられた。
ぎゃくにふたつめのパターンの方々は、薬物療法や休暇が効を奏してうつ病の症状が良くなり、生活の「自由」を感じられてきたときに、また以前の生き方を反復してしまう方が多いような気がする。
うつ病という病は、もしかしたらもっと大きな生命体の危機を告げ知らせくれていると理解したら…。
うつ病の方へ支援は、もっともっといろんな支援ができるはずだと、密かに感じている。
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