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待ち望まれた一冊~『精神障害を生きる』(駒澤真由美・著)を読む

  • kazenooka
  • 2023年12月21日
  • 読了時間: 8分

更新日:2023年12月23日



「すなわちそこに生きている人びとの立場に身を置き、その人たちの意図をその原理とリズムの中で理解し、一つの時代ないし文化を一つの「意味の総体」と見るのである」(レヴィ=ストロース『野生の思考』)


 本書を読みながら、ずっとちらちらと脳裏をかすめていた本がある。

 クロード・レヴィ・ストロースの『野生の思考』。

 西洋中心主義的な思考からは「未開野蛮」と見做されてきた人々が、微細で精密な思考(野生の思考)を有していることを明らかにし、戦後フランス思想を一変させた一冊である。

 筆者からすると、「んな、あほな」とお思いだろうが、事実だから仕方ない。本書は、もしかしたらこれからの精神保健福祉を理解する上で、記念碑的な作品になるような気がしてならない。


 本書は500頁を超える大部な書物であるから、そんなに簡単に感想を書くことはできない。このブログでは、特に重要と思えたところを書き出してみたい。

 本書で何よりも刮目すべきところは、登場されてくる当事者のみなさんと筆者の「かけあい」である。そしてその「かけあい」の中で展開されていることがらは、じつはこれまで精神保健福祉論では、あまり正面から問われてこなかったことなのである。

 一言で言えば、精神障害のある方が、これまで生きてきた「自由な社会」から離脱して、精神保健福祉など、もしかしたらこれからの自分の生の限定要因となりうる社会福祉制度の中で(のみ!)生きていくということへの忌避感である。

 支援者的な発想でいくと、「困っている人」がいれば、なるべく早期に「介入」して何らかの制度に「つなぐ」ことが、当事者にとって好ましいことである、となる。例えば障害があるのに手帳をとっていない人がいれば、その手続きを知らせることが好ましいことである、ということになる。

 しかし、それは本当なのだろうか?


 例えば、障害を開示して働くことについて語っている、道場さんと筆者のやりとりに目を向けてみよう。


道場:その当時はそうでしたねぇ。手帳を発行する時とか、ものすごい(声を大きく)、もう、なんかすごかったですねぇ。(中略)手続き行ったんですけど、「僕って、ブラックリストに載るんですか?」とかって、そんな風に聞きましたけど。

筆者:ブラックリストっていうのは、道場さんにとってはどういうイメージ?

道場:そうですね。(中略)だから、捕まったらこうね、もちろん捕まったことはないんですけど。だからそんな対象になるんかなぁって。(p.85)


 このやりとりは、見方によっては障害者手帳について「正しい」認識を持っていなかった当事者の発言ととることができる。なので、支援者は障害者手帳に関する説明をして、正しい認識を持っていただけるようにすればいい、と。ぼくの考えでは、この道場さんの発言は、手帳の誤認によって生じているのではなく、これからの人生においてなんらかの制度の中で生きることを余儀なくされることへの、とても実直な心情を吐露されているのである。

 ふだん僕たちは、学校や病院に通えば、もちろんそこに制度の存在を感じる。しかしたいがいはある時期を越えてしまえば、制度の影は薄れ、「自由」な日常生活に立ち戻っていく。しかし精神保健福祉や生活保護など、社会福祉制度を利用する人々は、利用するときに、もしかしたら自分はずっとこの制度の中での生き方を強いられることのなるのではないかという、深いためらいと不安を抱く方が多い。

 ぼくの経験でも、これまで一番辛かったこととして、“精神疾患に罹ったことも辛かったけど、相談支援員の方に、これからずっとのつきあいになるからよろしくねと挨拶されたとき、もう自分はこれからずっと福祉の中の人間になるのかと落ち込んでしまった”と話されていた利用者さんがいたことを思い出す。


 ハイデガーをもじって言えば、それまでは自由な社会で生きていた「世界内存在」としての自分の在り方が、瞬間的に「(福祉)制度内存在」として再定義されてしまうことを意味する。こういった動揺を目にしたとき、これを当事者の「思い込み」と判断し、正しい認識を与えることが支援者の役割となってきた。

 しかし本書で展開されていることは、誤認した道場さんを糺すことではなく、制度の内側で生きることに対面したときのためらいとその反動など、心のゆらぎと変容の丁寧な描写である。管見によると、こういった「ゆらぎ」を丁寧に筆記している専門書は、驚くほど少ない。本書が今後重要性を増す作品と見做す所以の一つである。


 障害者自立支援法が施行されて以降、障害者福祉施策は、ほぼ就労一辺倒になってしまった。これはサービス体系の中で就労系が占める割合云々ということではなく、支援者も利用者も無意識的に就労を頂点とするヒエラルキー的な思考に覆われてしまった事態を表徴している。もっと言えば、障害者支援の現場で語られる言葉が、当事者も支援者も就労という文脈において布置されていくような言説空間となってしまっている。なので本書に登場してくる当事者の発言も、いきおい就労という文脈でのみ理解されてしまいかねないきらいがある。

 本書で中心的なテーマとなっているリカバリーも、つねに就労と相即的な概念と位置付けられてしまうことが多い。リカバリーについてあえていえば、リカバリーについて筆者が尋ねたときの当事者のみなさんの返答が、どことなく「とってつけたような印象」を受ける。この「とってつけたような印象」は、別に返答の能力的なことではなく、とても本質的なもんだいを提示している。それは、福祉制度を利用することの忌避感やためらいなどと比較すれば、おそらく当事者が「リカバリー」を自分事としてかんがえることの必要性の度合いが、かなり低いということだ。リカバリーはつねに、当事者以外の人々によって主題的に語られてきた概念なのである。


 本書を読んでいて、心の底から思わず唸ってしまったところがある。

 Y作業所に通っていた結城さんは、次第に通えなくなり、その後に退所した。結城さんはSNSにその経緯について投稿し、最後はこんなふうに締めくくられていた。


「今回、私は自分で人生の選択をしました。その結果が、どのようになろうとも、自分が選んだ道として腹をくくって生きる所存です。自分で決めて、自分で生きる。当たり前のことですが、初めて決めることができた自分を、一つの成長と受け止めています。至らぬ身ですが、今後ともよろしくお願い致します。」(p.333)


 支援者は、利用者さんが通えなくなると、まず何かあったのではないかと心配する。そしていよいよ退所とまでなってしまうと、これでまた「就労=自立」が遠のいてしまったのではないかと、茫漠とした気分になる。

 しかし結城さんの文章で気づかされる。

 いや、ぎゃくだったのだと。

 作業所を退所する、つまりひとつの福祉制度から離脱し、ときには痛みの伴う「自由な社会」で生き延びていくことが、自分にとって「うつ病を治す」ということなのだと(p.334)

 この結城さんの考え方に、共感する当事者の方は多いのではないだろうか?(実際に風の丘にも共感される方が多かった)


 僕たち「支援者」は、福祉制度に対する善意的な解釈から一方的に判断し、福祉制度を利用しているときに恒常的に当事者に生起している両義性、つまり利用すれば役には立つのだろうけど、利用し続けている限りは自由に生きられないのではないかという、この両義性にあまりにも無自覚であった。あらためて思えば、各就労支援事業所だけではなく、あらゆる社会福祉事業所の領域には、この両義性がひしめき合っている。この両義性は、「信頼関係」が深まり、支援が後に進展していけば霧消していくようなものではなく、むしろこの両義性をめぐる当事者と支援者のズレや齟齬こそが、社会福祉事業所のおけるさまざまな出来事の核心をかたち作っている契機であり、まさに当事者と支援者が現場において織りなす「意味の総体」(レヴィ=ストロース)の、大きな結節点のひとつだと言っていい。


 最後に筆者は、こんなふうに自戒をしている。当事者たちの「生の実践」と「生の論理」に惹きつけられ、彼らの意味世界にとどまってしまったことで背後にある社会構造の問題に目を向けることができなかった、と。それは制度に埋め込まれた差別と当事者自身のセルフスティグマの内面化の問題なのだと(p.455)

 筆者の結論は、社会学的な考察と展望としては、たぶん正しい。

 だが、僕たち現場の支援者の見方からすれば、それは違うんだと言いたい。

 スティグマと制度についての論考など、社会福祉関連でもおそらくゴマンとある。その多くは、読み物としては面白いかもしれないが、それだけである。

 本書の特筆すべきところは、その意味世界にとことん留まったからこそ、これまでほとんど明らかにされてこなかったような当事者の意味世界が開示されたことにより、むしろ支援者たちの意味世界とのズレや齟齬が明在化されたことにある。そしてこのズレや齟齬が、精神保健福祉の支援現場が織りなす「構造」のエレメントにほかならない。就労支援だけではなく、精神保健福祉の支援現場は、現在も混迷の一途をたどっている。支援現場の「構造」を、総体的にひも解いてくれるテクストを、おそらく誰もが待ち望んでいる。

 では最後に、冒頭に掲げた『野生の思考』から。


「人間についての真実は、これらいろいろな存在様式の間の差異と共通性とで構成される体系の中に存するのである」。


 筆者の今後のご活躍、心から応援しております。


 
 
 

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