「1割」で、決まる人生もある。
- kazenooka
- 5月12日
- 読了時間: 2分

今年のGWものづくりトライアスロンはクレイ(粘土)・アニメ。
これまでは、制作するテーマは決めておいて、作品はあくまでも個人単位、つまり自分の作品を完成させることが目的であった。
しかし、今年は違う。
集まったみんなで、ひとつの作品をつくる。
個人単位の作品ではなく、チームとして作品を制作するということになった。
では、まず作品の土台となる物語を決めなければならない。
しったもんだのすえ、『おおきなかぶ』に決まる。
そしていよいよ、制作への役割分担。
“え、ええー! 私が班長なんですか!? いままでやったことないです!!”
“だからやったほうがいいんじゃないの?”
“作品ができあがらなかったら、どうするんですか?”
“だからいまここで、どうすればできあがるか、かんがえてるの”
“…”
もう何十年も前になるが、演劇をやっていたときがある。
あまりにも下手くそな演技に業を煮やした演出家から、何度もきつく叱責され、稽古を半ば外されていた僕に、見るに見かねた先輩がこんなふうに話してくれた。
“演劇は、9割が苦しみ。最後の1割が喜び。この1割のために稽古しているようなもの。でも、この最後の1割を経験すると、それまでの9割の意味合いが変わる。なんでもそうだけど、途中でやめてしまう人は、この1割がわからないままの生き方になる”
これは以前も書いたけど、風の丘のものづくりは「職業訓練」でない。
でも、もしかして仕事にも活かせる点があるとすると、じつはここなんじゃないかと思う。
たかが1割。
されど1割。
最後の1割をどう経験するか、そこで決まる人生もある。
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