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特別講座『精神保健福祉士とかんがえる、お金のトラブルから身を守る!』最終回④

  • 4 日前
  • 読了時間: 11分

最終回 「不自然な善意」への対処法



今日もお集りいただいて、ありがとうございます。

今回は4回目で、最終回となります。

最後のテーマは、人から騙されるという経験を、外側からではなくて、騙された人の心の内側から覗いてみると、どんなことがわかるか、ということです。


ぼくのこれまでの感触だと、残念ですが、一度騙されたことがある人は、再度同じようなやり方で騙されやすいということがあるのかな、という気がします。

そこには、前回お話した常識や通常の人間関係の崩壊といった、その後遺症のような要素もあると思います。

その辺を、今日はじっくりとみなさんとかんがえてみたい。





自分の心を覗く

いつも思うのですが、例えば防災訓練なら動線の確認や逃げ方、通常の防犯訓練なら戸締りの仕方や防犯グッズの扱い方など、身体的な行動が主となります。

ところが、詐欺という行為にあう、人から騙されるという経験は、極めて心理操作の様相が濃い。

つまり詐欺に対する防犯、騙されないための準備というのは、結果的には自分の心を覗く、もっと言えば、自分の心の、なるべくなら見たくない部分を覗かなければならなくなる。


これって、かなり苦しいことです。

だから、ついついそれを避けてしまって、騙された、というところで終わってしまう。

人間は弱い生き物ですから、気持ちとしては、それはとてもわかるんです。

ぼくだって、ひどい騙され方をしたとしたら、なかなか立ち直れないと思うし、ましてや、自分を振り返るなんて、まるで自分の非を認めるような気分になりそうで、ちょっと怖い。

でも、やはり自分の心を問い直すということを怠ってしまうと、詐欺被害にあう可能性が、さらにそれだけ高くなる。

この危険性を、精神保健福祉士など生活支援の相談職はよく理解し、被害にあった方とはじっくり時間をかけて、その作業をともに遂行していかなければならないと思います。





自分には人から優しくされる価値があるのか?

では、改めてですが、騙す人というのは、いったい他人のどこをみているのだろうか?

簡単に言えば、その人の不安と劣等感です。

確認しますが、詐欺被害にあう人は、もともと不安や劣等感が強い人、ということでありませんよ。

不安や劣等感は、誰にでもあります。

ただ、誰でも、ある環境や状況に置かれたとき、自分でもまったく気づかないうちに、強烈な不安や劣等感を抱きやすくなっているときがあるんです。

そのときを、騙す人というのはじっと見ているんだ、と思ってください。


ここで、最初の缶コーヒーのAさんを思い出していただきます。

休憩時間に突然缶コーヒーをごちそうになってから、連日のように缶コーヒーを与えられ、そのような関係に慣れてしまった果てに、お金を貸すほどの関係になってしまいました。

Aさんの被害が明らかになった後、Aさんとご両親と一緒に今後のことを話し合ったことがあるんです。


ぼくはね、そのときお父さんがAさんに発せられた言葉が忘れられない。

「そもそもお前に缶コーヒーをおごって、その社員になんのメリットがあるの? そのことを、お前はかんがえなかったの?」と。

Aさんが、かんがえなかった、って答えると、

「そもそも、社員が新人に缶コーヒーをおごる必然性なんてないわけだよ。もしかしたら1回か2回くらいはあるかもしれないけど、何回もなんてありえないんだから。

お前にさ、社員から缶コーヒーを何度もごちそうもらえる価値なんて、会社の中では、ぜんぜんないわけだろ。それをやるってことは、相手にはなにかほかに目的があることくらいわかるようにならないと、な」


これ、ものすごい真理が含まれていると思いませんか?

誰だって、人から優しくされたり、特別扱いされると、気分がいいものです。

でも、そのとき、ちょっと待てよ、自分にはこんな無条件な善意を受けるに値する価値があるのか、と。

ここに、ひとつの分岐点があるんです。

自分にはそんな優しくされる価値なんてないよな、と気づく人は、ここでおそらく行動が変わる。

次の日に、もし社員が缶コーヒーを持ってきても、謙遜して受け取らないか、これで最後にしてくださいと、慇懃に念を押す。

あるいは、むしろこっちから缶コーヒーを持って行って、暗々裏にこれで終わりにしましょうというサインを送るかもしれません。

とにかく、この不自然な関係に、いったん終止符を打つはずです。





不自然な善意に対する、健全な不安

一方でね、例えば、それまで会社の中でほとんど知り合いがいなくて、休憩時間もひとりぼっちで、毎日不安で仕方なかった、という人の場合は、この社員がやっとはじめて自分を気にかけてくれた人だ、ということになる。

そうなると、その人にとっては、この社員がとてもありがたい存在になりますよね。


でもここでもまた分岐点があるのですが、一時的にはその社員の出現に安心感を持ったが、それでもやはりこの「不自然な善意」にね、なんとも言えない不安を抱く人がいるんです。

ぼくの感触だと、不安だけという人は、むしろ不自然にやさしくされることに違和感や、さらなる不安を持って、やはり離れていく人が多いのではないかと思います。





騙す人は、その人の劣等感を見抜いて、「ひきあげる」

では、いよいよその分岐点で、騙そうとする人のほうに心を寄せてしまう人って、どういう人なのか?

例えば、そのとき会社や近親者との人間関係がうまくいってなくて、どことなく精神的にやさぐれているときってありますよね。

なんで自分ばっかりいつもこんな目にあうんだ…、まわりの人は楽しそうなのに…そんな気分になっているときです。こういうときって、自分では気づかなくても、ある種の劣等感に覆われてしまっています。


そういうときに、缶コーヒーじゃなくても、いつもがんばっているね、とか、あなたの努力をいつも見ていたよ、といった感じで、やさしい言葉をかけられたら、みなさん、どうですか?やっぱり舞い上がってしまうでしょう。


そうやって、缶コーヒーだけじゃなく、お菓子なんかでもいいですけど、連日ごちそうになったり、何度もやさしい励ましの言葉かけなどをされたら、なんだか自分が一段高い場所に立ったような気分になる。

それまでの不安や劣等感で苦しみ、底でくすんでいた自分よりも、明らかに高い場所にいるような気になっていきます。

でもね、注意しなければならないのは、この高さは、決して自分の力で上がっていったわけではないってこと。

騙す人によって、いわば「ひきあげられた」ということです。

そして、これこそ詐欺師の常套手段なんです。

ただ騙して金品を奪うのではなく、その人を一方的にひきあげて、ひきあげていい気分にさせておいて、その状態になったところで騙す、ということです。ここを、押さえておいてください。





不安と劣等感にどう向き合うか?

スタンダードに言えば、例えば会社の中での不安や劣等感は、しっかり実績を積んで、周囲の人の信頼を得ていく中で、減少させていく、または解消させていくものですよね。

時間と努力がかかるけど、不安と劣等感に対処するには、この方法しか、実質的にはないんです。

そうやって、少しずつ自分を「高い」場所に持っていく感じだと思います。

だから、その後なにかトラブルなどに巻き込まれ、不安や劣等感に襲われたりして、少し自分が「低い」場所に戻るようなことになっても、かつて自分が歩いて来た道ですから、その対処法をわかっているわけです。


ところが詐欺師にひきあげられて、高い場所にいると思わせられている状況だと、自分の力でここまできたわけではありませんから、つねに自分の立ち位置が詐欺師との関係に左右されます。

前回ロールプレイングをしましたが、その人の機嫌が良ければ自分も幸せだし、その人が不機嫌なら自分も苦しくなる。つまり、その人に自分の人生をあずけるような生き方になってしまうんです。

だから最終的には、その人から、お金を貸して、といわれたら、もう断りようがない。ここで断ったら、いまの自分の高さを維持できなくなるのですから。





他者の眼

ここで重要なのが、他者の眼、です。

この誰かにひきあげられて、自分の立ち位置が高くなったと思っている人の姿は、周囲の人の眼にはどう映っているのか、ということです。

自分の努力で不安と劣等感を克服しながら高みを目指している人と、誰かに引き上げられて自分は高いところにいると思い込んでいる人の姿の違いは、一目瞭然です。

みなさんだって、誰かにひきあげられて、いい気になっている人に対しては、あんた、ナニ勘違いしてんの、という感じになるでしょう?

結局、こういう人って、周囲から孤立しちゃうんですよ。だから、自分をひきあげてくれている人に去られたら、もう帰る場所がなくなってしまう。


詐欺師は、相手の常識感覚と人間関係を崩壊させると言いました。

この人を失ってしまったときに予想される、帰る場所のない寄る辺なさ、そして圧倒的な孤立感。これが常識感覚を揺るがし、周囲との人間関係をさらに軋ませていくことになります。


このような立ち位置のときに、例え高額であったとしても、お金を貸してくれと言われたら、いったい何人の方が、断ることができるでしょう。もう繰り返す必要はないですね。おそらく、貸さざるを得なくなります。





「同じ道を歩む」

さきほどから何度も、詐欺師はその人の不安と劣等感をみている、と言いました。

不安だけなら、その不自然さに気づき、そこから逃れることができる。

でも、そこに劣等感と、劣等感から生起する、根拠のない優越感に満たされてしまったときに、もはやその不自然さに気づくことが、とても困難になる。

たとえ気づいたとしても、不自然とはいえ、この人との関係を失ってしまっては、もう帰る場所というか、仲間もいない。たとえ気づいたとしても、戻りようがなくなる。


そうなれば、どんなに不信感を持ったとしても、その不信感を上回るほどの、詐欺師の「いいところ」「信頼できそうなところ」を無理やり取り出し、信頼できる人なんだと、私を裏切るはずがないんだ、と自分に言い聞かせながら、その人と同じ道を歩まざるを得なくなるんです。

これはこの講座では話せませんでしたが、実は詐欺という犯罪は、被害者と加害者が、相互に入れ替わるような構造がある。

被害者だった人が、知らず知らずのうちに加害者になり、加害者だった人が被害者になる。

そういう、一度聞いただけだと、ちょっと理解できないかもしれませんが、実はそのような構造があるんです。そのカラクリの契機は、この「同じ道を歩む」という、ここにあるような気がします。


どうでしょうか。なんとなくでも、詐欺の被害にあってしまった人々の内面をご理解いただけたでしょうか?

じっくりとわが身に引き寄せてかんがえていただければ、意外と誰もが心覚えのあることではありませんか?

だから、なんらかの環境的な条件と心理的な状況が重なり、強い不安と劣等感を抱きやすくなっているときは、誰もが詐欺被害にあう可能性があるということになります。





嘘のない関係を生きる

では、最後に、じゃあ、どんな予防法があるのか、ということを、簡単に述べておきます。

詳しくは後半の質疑応答で述べますが、簡単に言えば、普段から「嘘」のない付き合いをどれくらい大切にしているか、ということに尽きると思います。


ぼくたちは、つねになんらかの人間関係にまみれて生きていますが、それを丁寧に振り返り、人間関係の棚卸しをしてほしいのです。

例えば自分がうれしいときに、素直にうれしいと表現する付き合いになっているか、それともつねに相手に合わせる付き合いになっているのか、ということです。

相手の合わせる、というと当たり前に聞こえるかもしれませんが、その合わせる会話をしているとき、そこに嘘が入っていませんか、ということです。

相手にお世辞を言うとき、そこにどれくらい嘘が入ってしまっていますか、ということです。

嘘がダメだということではありませんよ。仕事上、人間関係が円滑にいくように、嘘が必要になることがあるのは言うまでもありません。


ただ仕事上必要だから、という視点と、自分にとって本当に大切な人間関係はどれか、と問う視点は、本来別々に存在すべきことです。よくあるのが、仕事上必要だという関係を、いつしか自分にとって最も大切な関係だ、と思い込むようになっていき、結果的に嘘の多いふるまいが「自然」になってしまう生き方です。


こんなふうに丁寧に、人間関係を一つひとつ点検していただきたい。

うれしいときにうれしいと言え、かなしいときにかなしいと言える。

そんな当たり前の関係性を、自分はどれくらい大切にしているのか?

いろいろな詐欺の現場をみてきていて、結局、騙されることの防波堤になるのは、こんな当たり前の関係性なんです。


この当たり前の関係性から健全な常識感覚が醸成されていき、それがあの不自然な善意ややさしさへの気づきとなる。

ぎゃくに、嘘の多い人間関係が多くなってしまうと、それが知らないうちに自分にとっての「自然な関係」となってしまいますから、ふつうだったら気づくはずの、あの「不自然な善意」にあまり違和感を感じなくなってしまう。


今回の講座は、主たる金銭トラブルを、不自然な善意から始まる不自然な貸し借り関係への対処にしぼらせていただきました。

では後半は、みなさんの具体的なケースに基づいて、騙されないための日頃からの準備や訓練について、より深くかんがえてみたいと思います。

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