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怜玢
  • kazenooka

「思い蟌み」論考③『四句分別』の衝撃




韍暹の『䞭論』をどう読むかは、たぶん読み人の力点の眮き堎によっお異なる。

孊者であればそのように読むし、信埒であればそのように読む(圓たり前だけど)。

がくはおそらく哲孊探求ずしおの読み方ず、障害のある方の支揎者ずしおの読み方を重ねながら読んでいるのだろう。

そうなるず『䞭論』も、どの䞀説に泚芖しお読む蟌もうずするかで、ずいぶんずその埌の解釈が異なっおいくこずは、半ば圓然の成り行きなのかもしれない。


がくがひずきわ匷い関心ももったのは、18章「アヌトマンの考察」八だった。


「䞀切はそのように〔真実で〕ある」、たた「䞀切はそのように〔真実〕ではない」。「䞀切はそのように〔真実で〕あり、たたそのように〔真実〕ではない」。「䞀切はそのように〔真実で〕あるのではないし、〔真実〕ではないのではない」―これがもろもろのブッダの教えである。


仏教孊では四句分別ず呌ばれる、独特の語法である。

垰宅途䞭の電車の䞭でこの䞀説を読んだずき、思わず声をあげおしたいそうになったが、たわりにいた女子高生たちにアブナむおじさんず勘違いされないよう、必死にこらえた。


もしかしたら、僕たちがかんがえるこずができるこずは、この4぀の語法がすべおなのではないか

もっず蚀えば、僕たちが蚀語を甚いお思考せざるを埗ない以䞊、どれほど蚀葉を玡いでみおずころで、結局は思考されたこずがらは、この4぀の語法のいずれかに過ぎないずいうこずになるのではないか


なにか思考のずんでもないカラクリに觊れたような気がした。

ここでふっず想起されたのが、「思い蟌み」に振り回され、生掻が成り立たなくなっおいる利甚者のみなさんの姿。

四句分別を甚いながらみなさんのかんがえおいるこずを敎理しおみたら、自分の「思い蟌み」をいくぶん察象化できお、ちょっずは生掻がラクになるのではないか

ならばこの四句分別をもっずわかりやすいようにしお、䞀緒にわいわいず楜しめるような圢匏にできないものだろうか。


『䞭論』の教えず利甚者さんの苊悩が、たた䞀歩近づいた気がした。

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