「適応障害」への支援について
- kazenooka
- 2024年11月11日
- 読了時間: 5分

前回、うつ病やパニック障害について書きながら、適応障害について、これまでしっかりとしたことを書いたことがないことに気づいた。
適応障害は、うつ病とパニック障害とセットとして診断されることが多いのに、本当にうっかりしていた。
適応障害が、就労支援の現場でふつうに語られるようになったのは、いつくらいからだったろう。
十数年くらいから前だったと記憶しているが、最初はこの名前を知ったとき、やや面食らったのを覚えている。
日本人は、学校や社会などについて論じるときに、とかくこの「適応」という言葉が好きである。不登校の児童などは、あっという間に「学校不適応」とみなされ、会社であれば「職場不適応」とみなされる。
そして「不適応」は、その不適応を起こさせる学校や職場にその原因を着せられることはない。
ただひたすら個人のもんだいとしてのみ語られていくという、偏った特徴がある。
そこに「適応障害」。
「適応」についての言説(語り方)は、いよいよ「障害」のレベルにまで達してしまった。
ところで厚生労働省のホームページには、「適応障害」についてこんなふうな定義がある。
『日常生活の中で、何かのストレスが原因となって心身のバランスが崩れて社会生活に支障が生じたもの。原因が明確でそれに対して過剰な反応が起こった状態をいう』
ようするに、なにかショックなことが起こり、ふつうに生活ができないくらいに心身の状態が悪くなっていること、らしい。
精神科医やセラピストなど「専門家」の見解によると、そのショックを自分なりに受け入れることができない、またはその方法を知らないままに今日にいたってしまった、というところに力点が置かれて語られていることが多く、やはり本人になんらかの原因がある、だから治療(セラピー)が必要、という論法になっている。
ここからは、就労支援の現場で僕なりに了解してきた「適応障害」について書いてみたい。
結論から言うと、「適応障害」とは、「適応」してはいけない環境にいるからこそ起こっている、生命を守るための生体反応である。
なんだこれ、といぶかる人も多いと思うので、少しお付き合いただきたい。
長年就労支援の現場にいて、ぼくが知らず知らずのうちによく使うようになった言葉に、「気質」という言葉がある。
気質とは、複雑に言えばいくらでもいえそうだけど、とりあえずその人の心身、どちらかといえば身体の方に、持って生まれたときからある特質、みたいな感じで捉えていただければうれしい(本来は中国伝統の「気」の理論が背景にあるのだけど、ここでは触れないでおく)。
この気質という概念を用いると、ご本人も支援者も曖昧模糊としてよくわからなかった苦しみの原因のひとつの側面が、なんとなくクリアになるというか、腑に落ちてくるから、なんとも不思議である。
「適応障害」は、周囲の状況や環境に対しての心身の過剰反応というけれど、では何が過剰反応させているのだろう?
専門家に言わせれば、ストレス反応がどうのこうのとなり、それはすぐにどうにかなることではないので、喫緊の課題として、過剰反応の結果による「症状」をとる方が先決だということになる。
もちろん、それはご本人の苦しみを除去するという点では正しい。
ただ症状を起こさせている原因のひとつが、持って生まれた気質だったとしたら、どうだろう。
僕がかんがえる適応障害とは、やはりうつ症状やパニック発作と同様に、自分の気質に反する環境(人間関係を含む)に身を置き過ぎ、気質が物理的にその環境から一時的であっても心身を離れさせるための、身体を用いたやや強引な戦略なのだと思う。
例えば、この仕事は気が進まないけど生活のためだと頭(脳)は必死で気質を説き伏せようとするけど、気質は、“いや、もう限界。これ以上ここにいたら、お前、危ないよ”と身体を使って全力で頭(脳)に言い聞かせている状況だと言っていい。
では、どうするか。
風の丘で実施してきた、適応障害の方に向けての支援ポイントは以下の2点。
➀ まず物理的に離れることを推奨している。
仕事であれば、休職という手段も有効になるし、人間関係であれば、その人と物理的に距離を取る(会話を減らす)など。
まずは心の落ち着きを取り戻す。もっと言えば、自分の心がざわつきときがいつなのかを、自分なりに理解していく。
② 自分の気質を信じることへの支援。
生活の苦しさ、現実からの要請…。
僕たちが生きるためにかんがえなければならないことは、いくらでもある。
でも、ここでいったん自分の気質を尊重した視点から世界を眺めてみる。
これまでの生き方とこれからの生き方を、気質という視点から眺めなおしてみる、ということ。
もしかしたらそこから新しい生き方が見えるかもしれないし、見えないかもしれない。
あるいは、昔いったん否定した生き方が、また新たな意味合いで蘇ってくるかもしれない。
こんなふうに、あーだ、こーだと寄り道してみる。
でも、この作業を1人で遂行することは、とても大変。
特に一人部屋の中でこんなことをしていたら、場合によっては、さらなる暗闇に落ち込んでしまうこともある。
だからこそ、みんながいる場所でかんがえることが大切。
別に人といちいち会話をしなくてもいい。
誰かが何かをしているところを、ボーっと見ているだけでいい。
会話はなくても一緒にいる場でかんがえてみる。
何かが動き出すのは、そこからかもしれないのだから。
その「かんがえる場」として、就労支援センター風の丘はある。
訓練するとか、コミュニケーションを学ぶとか、そういうことが目的じゃない。
自分が本当に求めていることはいったいなんだろう。
一緒にかんがえてみましょうよ。
なお、適応障害と診断を受けた方にも、前回ご紹介したうつ病・パニック障害への支援プログラム「風の丘メソッド」はとても有効かと思います。
ご関心のある方は、どうぞお気軽にご連絡くださいませ。
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